群馬サード勢のおもいでばこ

なつかしい話をします。どりるです。

STREET FIGHTERIII 3rdSTRIKEをはじめました。

18年前に。

2000年、ドリキャスサードが発売された。

どっちかっていうとSNKゲームしかやってなかった自分が

ストIIIできる人はなんか玄人感あるな」という理由からやろうと決意。

ドリキャス版の発売をきっかけに平日は家で練習、週末はゲーセンで対戦。

という日々をすごす。

ちなみにこの時のキャラはレミー

 

3rdがアーケードで稼働当初、3rdからやるなら新キャラがいいな、と最初に選んだのはトゥエルヴ。なんだこのキャラ…扱いづらい。多分上級者向けなんだな。次!

空手少女絶対強いだろ、まこと。扱いづらい…必殺技クセありすぎだし、吹上なんて当たらんだろこれ。次!

お、ソニックとサマーのスタンダードキャラ、これは扱いやすい!

レミーに決定。

 

この頃は、同じく上京した友達らと集まって家ゲー対戦する事が多く

集まって対戦→帰って対策→集まって対戦…の繰り返し。

と、聞こえはいいけど内容はとてもじゃないけど、今じゃ見せられないような対戦内容だったと思う。それでも負けてカチーンときてた記憶はあるのでずっと負けてたな。

この時の仲間内のキャラは、レミー、アレックス、リュウ、オロ

 

家ゲー対戦レベルでやってたサードストライク。

そのあとカプエスも出てちょっとやったけど

結局サードやってた気がする。

 

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当時住んでた市川のアテナってゲーセンの大会にも参加もしたよ。

 

そして2002年に会社がちょっと傾いて、希望退職を募っていたので退職。

実家に帰ることにした。

帰って最初にやったことといえば、ゲーセンで対戦できるところ探しだった。

 

つづく

備忘録:MacBookAir2015にWindows7をインストール

MacBookAir2015にWindows7をインストールしてほしい。

との依頼に、安請け合いしてWin7のディスクも買って、いざ入れようと思ったら手こずった。

 

結論からいうと、BootCamp経由だとできないので

VirtualBoxVMとしてインストールしてフルスクリーンにして使う。

 

なんというか、OS基準じゃなくて、ハード基準で2015年~のMacにはインストールできないという事態。しかも人から頼まれてやったんだけど、面倒この上なかった。

 

試したこ

・インストールDVDからISOファイルにしてBootCamp→Win8以上じゃないとダメ

・外付けドライブからDVD起動→起動ディスクとして選べない、ALT起動も同様

・ISOデータから起動USBドライブ作ったけど同様にダメ

 

大人しくVirtualBoxを使いましょう。

写真

なんだかんだ写真撮るのが好きで

子供のころからカメラにあこがれて、写ルンですで好きに撮っていい時は興奮した。

デジカメが登場するやいなやすぐ買った。

SANYOの81万画素のカメラだった。

ずっと手元にカメラがあった

SANYOのあともう一度SANYO、サイバーショット、パワーショット

Nikonの D70、Canonの7D

 

仕事でも撮影する、商品から人物まで

写真は撮った人から直接反応がもらえるのが楽しい。

昨今のインスタブームからくるセンスある写真達

カメラなんかなんでもよくて

構図さえしっかりしてればいいんだけど

シャッターチャンスの一瞬にその全てを考えて撮るのは経験値。

知り合いの子ががんばってカメラやってるけど

多分ちゃんと撮れるようになるにはまだかかるんだよなー、でもしょうがない

カメラは経験値。

10年単位

10歳になったとき、10年生きたと思った。

20歳になったとき、大人にならなきゃと思った。

30歳になったとき、20歳と何も中身変わってないと思った。

40歳を前にして、

中身なんて高校時代から何も変わらず

これからも変わらないと思った。

 

最近物を買う時も10年換算で買うようになってきた。

テレビもその一つだけど、10年前に13万で買ったけど

10で割ったら年13000円だな、と

てことは今の価値は13000円しかないんだな、と

減価償却したと思えば、これから壊れるまで使うのはプラス。

 

というよくわからない理論に辿りついた。

長く使うものは多少高くても高い方を選ぶようにもなったかな。

 

筆不精

ちょっと忘れると書かなくなる、まずい

仕事とプライベートといろいろあることにはあるけど

全てを夏のせいにして、すずしいクーラーの効いた部屋で

最近手に入れたPS4をしこしこやってたんですけどね

ファミコンが来た。

ファミコンが発売して2年目の1985年、ファミコンがわが家にやってきた。

 

同時購入のソフトはマリオブラザーズ

その年にスーパーマリオブラザーズが発売

しばらくはマリオ漬けの日々。

 

その後買ったソフトといえば

・おばけのQ太郎ワンワンパニック

仮面ライダー倶楽部

・新人類

キングスナイト

・忍者ハットリ君

高橋名人の冒険島

グーニーズ1・2

ほかにもあったけど、思ったより覚えてない。

 

おもちゃ屋行って、ファミカセ買って帰って、興奮気味に箱を開けて

ピカピカのカセットを袋から出す。その瞬間が何度やってもたまらん。

今だとダウンロード版とかで気軽に変えて便利になったけど

それでもやっぱりパッケージ版もネットで買うでもなく

店舗に行って買いたいんだよね。

だから今でも、店舗で買って、帰って家で開けて、起動するまでの流れを

味わいたくてゲームしてるのも少なからずあるのかも。

 

ファミコンがメインのゲーム機だった時代

小学生同士では独自のコミュニティがあり

遊びの一つだったファミコン

自転車のかごに裸のファミカセを跳ねらせながら友達の家に行った日々

一人用のゲームをみんなで回して、見るだけで楽しかったファミコン

おもちゃ屋もたくさんあって、ショーケースに並ぶファミカセの

色とりどりなパッケージに心躍らせたのも昔の話。

 

ちなみに、スーファミが発売されても買わずに

PCエンジンに走りファミコンも併用してた。

MSX登場

 

ファミコンど真ん中世代のアラフォーおじさんの懐かしい話

 

わが家はじめてのゲーム機 MSX

ライトペンが付いててテレビに絵が描けるやつだった。

カセットもいくつかあった、ヘビがどんどん伸びてくゲームに

テープ媒体で、何が面白いのかよくわからなかったマラソンゲーム

そして、ぶた丸パンツ(開発:HAL研

画面固定のゲームで、フライパンを持ったぶた丸に

雲の上にいるパンツ(鬼)が投げつけ、ぶた丸は卵をキャッチして鬼に投げて倒す。

左右に固定された土管に卵を10個(多分)入れるとステージクリア。

で、これだけだと単調なんだけど、土管の中から黒いパックマンみたいのが出てきて

割れて地面に落ちた卵を食べにくる。当然食べるとパックマンは大きくなり

最後にはぶた丸のジャンプでもかわせないほどの大きさに。

 

という、古いゲームっぽいゲームデザインありきの内容。

 

でも5歳児の目にはこのぶた丸のドット絵がとても愛らしく映り

動きと音とで興奮しながらやっていた記憶。

 

というところからゲーム好きが始まってたんだと今でも思う。